華恩は緩を一瞥し、イライラと人差し指で机を叩く。
「陽翔には関係ないでしょ」
「女王様はご機嫌斜めだな」
今度はあからさまにため息をつき、運ばれてきたコーヒーカップを手に取る。香りに瞳を閉じる。
「せっかく帰国のご挨拶に伺ったら、この有様だ」
「できれば出直してきて」
「この俺に二度足を運べと? ずいぶんだな」
チラリと視線を投げる。
「俺が居ない間に、えらく幅を利かせたな。生徒会長なんて、飾りみたいなもんだとか」
「失礼ね。私は彼を立てているわ」
と言いながら、華恩は内心で舌を打つ。
現在生徒会長を勤めている男子生徒も、それなりに資産家の息子だ。だが、華恩には及ばない。
古くは地主として財を有していた廿楽家は、今では投資家として各方面から声が掛かる。母が始めた高級介護サービスも、富裕層のリタイア組を顧客に順調に利益を伸ばしている。
また母は、この唐渓高校のPTA会長にも就任しており、ゆえに学校へもそれなりに影響力を持つ。
母が積極的に手腕を発揮しているのを見ると、こんな時代になっても生徒会長は男子、女子は副会長と規定された校則を歯痒く思う。
あんな気弱な男子より、私の方がよっぽど会長に向いているのに。
だが母は、そんな華恩にキッパリと諭す。
「まずは男性に認められること。若いうちこそ慎ましく、女性らしさを磨きなさい」
それは母の、経験と知恵。
「己の力を過信してしゃしゃり出れば、かならず叩かれるわ。実力の半分も発揮できない。でも認められ、可愛がられれば大概の事は大目に見てもらえる。それまで自分を磨くのよ。いつかくるチャンスに備えてじっくり準備しておくの」
母の言う意味が、華恩にはわからない。
あんな腰砕けの生徒会長を立てることが、己の為になるのだろうか?
「なんだよ? 今度はだんまりか?」
華恩の父親は陽翔の母親の従兄。二人の間には薄い血のつながりがある。幼い頃から付き合いもある。
金銭的後ろ盾も負けてはおらず、ゆえにこの学校で唯一華恩を呼び捨てにする事のできる男子生徒は、ゆっくりと立ち上がった。そうして、入ってきた時と同じような足取りで、緩に近づく。
「君、名前は?」
「かっ 金本緩です」
俯き加減だった顔をあげ、ピッと背筋を伸ばす。
「何をやらかしたんだい?」
「口出ししないでっ」
「俺は、この子に聞いているんだ」
「陽翔には関係ないわ」
乗り出す華恩。
「関わらないで。それとも何? その子、知り合い?」
「いや」
「だったら何よ?」
焦りも含ませる華恩の言葉に首だけで振り返り
「おもしろそうだ。こういうトラブルに首を突っ込むのは嫌いじゃない」
肩越しに笑う。
要するに、ただの気まぐれ。
留学から戻り、再び退屈な学校生活が始まるのかとウンザリしていたところだ。
いや、退屈…… というワケではなさそうだけどな。
先日、女子生徒たちと夕食を共にした際、おもしろい名前を聞いた。懐かしいような、だが二度と聞きたくもなかった名前。
二年二組の生徒だと聞いた。あまりに偶然過ぎて、今でも別人ではないかと疑ってもいる。その姿を拝むまでは、とても信じられそうにない。だが、わざわざ会いに行くのも癪に障る。
これでは、華恩と同じではないか。
思わず笑みを溢す。
そんな陽翔の表情に、華恩はギリリと唇を噛んだ。自分が笑われたと思ったらしい。
ふふふっ
気位の高い華恩の焦る顔を見るのは、おもしろい。
相手を鼻で笑い、改めて緩を見下ろす。
「大丈夫」
除に緩の顔を覗き込む。
鼻先ほどまでの前髪は無造作に、あるいは無造作と思わせるように左右へ分け、ワックスで束感を出している。耳は髪の毛でほとんど隠れ、ピアスの穴は存在を潜めている。
ふんわりと芳香が漂う。英国貴族とは、みなこのような香りを漂わせているのだろうか? もっとも陽翔は、貴族でもなんでもないのだが。
「俺がなんとかしてあげるから、さぁ言ってごらん?」
まるで幼子をあやすかのよう。直前までの緊迫した雰囲気と、華恩をはじめとする上級生の前という緊張感。
そこに突然流れ込む優雅な気品。
緩はもうどうしてよいのかわからない。
|